自己紹介
「ぷくぷく醸造」代表の立川哲之です。日本酒の原料であるお米と米麹に、ビールの原料であるホップやハーブなどを混ぜてつくる「クラフトサケ」をつくっています。今は醸造所をもたず、全国にある酒蔵を巡りながら酒造りをしていて、これまでに10種類のお酒をオリジナルでつくりました。
東京で生まれ育った僕が、東北に足を運んだきっかけは東日本大震災です。震災当時は高校2年生、部活動や受験などで忙しく、大変な状況を見ていることしかできずにもどかしい気持ちでした。それが原動力になって、大学進学後は、被災地支援のボランティア団体に所属し、東北へ足を運ぶようになりました。
ボランティアに通う中で日本酒や東北の食文化に触れ、そういうものが地域の風土を伝えたり、地元の人たちの誇りにつながっていたりすることに魅力を感じました。その後、東北の食やお酒、文化、伝統を味わえる「食と酒 東北祭り」というイベントを開催したり、全国の酒蔵をめぐったりしていて、日本酒への想いは強くなるばかり。宮城県名取市閖上にある「佐々木酒造店」での修行を皮切りに、酒造りの道を進み始めたんです。
全国の酒蔵巡りを続けながらも、2020年に南相馬市に移住。小高区に誕生した「haccoba-Craft Sake Brewery-」で醸造責任者として立ち上げから2年間、酒造りを担いました。
その後、より多様な環境下で経験をつもうと、すでにある酒蔵を間借りして酒造りをするファントムブリュワリーというかたちで「ぷくぷく醸造」を創業。全国各地の酒蔵やブリュワリーで、福島県の沿岸地域で作られたお米を使った酒造りをしています。
やりたいこと
「ぷくぷく醸造」の拠点となる醸造所を小高に構え、地域を感じながら酒造りを追及していきたいです。
僕が酒造りで一番大事にしているのは、地元でつくられたお酒やそのまちにある酒蔵が、地元の人にとって誇らしいものであることです。お酒を飲んでくれる人にとって「地元でつくられた酒」には、他の地酒では感じることのない価値があるんじゃないかと考えています。
そのときどきで、土地に流れる空気感や、同じまちで暮らす人たちのことを感じるからこそできるお酒もあります。そんな地酒をつくるためにも拠点となる場所を作りたいです。
やりたいことへの想い・理由
酒造りを生業にしていこうと思った時から、この地域で酒蔵をつくりたい、復活させたいと、ずっと考えていました。被災地支援のボランティアで、岩手県や宮城県などさまざまな場所に通っていたのですが、プレイヤーが少なく、当時は酒蔵が全滅していた相双地区は「自分がどうにかしなきゃ」という使命感を感じていました。
「ぷくぷく醸造」ではその志も持ちながら、酒造りを通して福島県の浜通りに田畑を広げ、地元のみなさんに「うちの地酒は最高だ!」と思ってもらえるようなお酒を生み出していきたいです。お酒を買いにきたお客さん同士が縁側で将棋をうったり、お茶を飲んだりしていた江戸時代の酒蔵の風景が、自分の酒蔵で生まれたら嬉しいなと思います。
生産地が近くなることで物流的にも良い変化があるんです。今は、福島県から遠方の酒蔵までお米を運ぶ必要があり、正直褒められたことじゃないなと思っていて。その距離を短くすることで、自然環境への影響も少しでも緩和したいです。
できること
お酒の醸造
酒造りを始めてから、これまでに日本酒を5種類、クラフトサケを30種類、醸造責任者として世に送り出してきました。クラフトサケづくりを通して、100種類以上のホップの知識なども身につけています。
日本酒やクラフトサケについての講義・講演
2023年7月から9月まで、京都芸術大学で「クラフトサケ学」の非常勤講師として講義をしていました。また、東京のクラフトサケ醸造所に技術顧問として参加しています。
物件への要望
小高区の駅前通りと、桃内駅近くのエリアで物件を探しています。駅前通りは、地元の人にも、遠方からの人にもアクセスがよいため検討中です。いつも原料のお米に使っている「根本農園」さんの田んぼがある、桃内駅近くの耳谷のあたりもいいなと思っています。
醸造所をつくるために、ワンフロアで25坪以上の広さが必要です。貸していただく際に、例えば2部屋などに分かれていても大丈夫なのですが、改修後の原状回復は難しいです。
車移動の方が多いと思うので、駐車スペースが確保できると大変嬉しいです。また、2階建ての物件をお借りできた場合は1階を醸造所、2階を居住スペースにして暮らすことも想定しています。